「組曲 古事記」

「組曲 古事記」 木場大輔 作曲/川村旭芳 琵琶歌作詞・節付

T.天地開闢

十七絃の独奏で、万物がまだ混沌とした天地の始まりを奏で、次いで尺八・胡弓・琵琶・十七絃によるファンファーレが神々の登場を告げる。そして古事記の壮大な物語の始まりを、全体でのアンサンブルにより印象的に歌い上げる。

そもそも宇宙の元(はじまり)は混沌として 誰(たれ)かその形を知らむ
しかるに天地(あめつち)初めて分かれし時 高天原に一柱の神成り給ひぬ
これより七代(ななよ)後の天(あま)つ神 伊邪那岐(いざなき)伊邪那美(いざなみ)二柱の神こそ
万物の御祖(みおや)と為り給ひぬ

U.国生み

伊邪那岐神・伊邪那美神の二柱の神により日本列島の島々が生み出されていく情景を、雄大な旋律で表現している。はじめ琵琶により奏でられる主題を胡弓が引き継ぎ、十七絃の短いソロを挟み、主題は尺八を経て再び胡弓へと引き渡される。

V.黄泉の国(1)

火の神を産んだ時の大火傷が原因で、妻の伊邪那美神を亡くした伊邪那岐神の嘆きを、尺八が表現する。国生みの主題を陰音階で引用している。次いで妻の面影を求めて黄泉の国に旅立ち、妻と対面するまでの情景を、箏と十七絃の全音音階*を多用した掛合いで表現している。
*全音音階:1オクターブを6つの全音で等分した音階で、ドビュッシーが好んで用いたことでも知られる。

「あな哀しやな 我すでに黄泉つへぐひしつ しかれども愛しき君 此処におはしませば 共に還りたし
この思ひ黄泉神と語らはむと存ず されば再び出で来るまで ゆめゆめ我をば見給ふな」

V.黄泉の国(2)

一緒に帰ろうと妻の返答を待つ伊邪那岐神。その間、決して妻の姿を見てはならないという。暗くジメジメした洞窟のような黄泉の国での不気味な時間を、箏と十七絃が表現する。ついに約束を破り、妻の醜くおぞましい姿を見てしまった伊邪那岐神。慌てて逃げ出し、怒りに燃える妻が恐ろしい醜女や黄泉の軍勢にその後を追わせる情景を、琵琶と箏で表現している。様々な知恵で黄泉の軍勢から逃れ、黄泉の国への入り口を岩で塞ぎ、妻との永遠の別れとなる場面を、尺八が国生みの主題を引用して悲しく奏でる。

W.天照大御神と須佐之男命

須佐之男命(すさのをのみこと) 天照大御神のおはします高天原に参(まゐ)上(のぼ)り
勝さびに悪しき態(わざ)をなす

太陽の神、天照大御神と、荒ぶる嵐の神、須佐之男命。ともに伊邪那岐神から生まれた姉弟の神でありながら、対照的な性格をもつ二柱の神を、胡弓・箏=天照大御神 尺八・琵琶・十七絃=須佐之男命 のアンサンブルで表現。高天原での弟の横暴をはじめはかばっていた天照大御神が、ついには我慢ならず、天の石屋戸に籠ってしまい、世界が暗闇に包まれてしまうまでを描いている。

X.天の石屋戸

天宇受売命(あめのうずめのみこと) 日影蔓(ひかげかづら)をたすきに掛けて
真拆葛(まさきのかずら)を髪に結ひ 天(あま)の香山(かぐやま)の小竹葉(ささば)を持ちて
神(かむ)がかりして踊り狂ふ

暗闇に包まれてしまった世界。神々はかがり火のもと楽しそうな宴を繰り広げ、天宇受売命の踊りで興に乗り大騒ぎ。不思議に思った天照大御神が石屋戸から姿を見せ、世界が再びまばゆい光で満たされるまでを、笛を中心に神楽のお囃子風の旋律と5拍子〜3拍子〜2拍子の変拍子のリズムで表現している。

Y.八俣遠呂智

八つ尾八つ頭の八俣遠呂智(やまたのおろち) その目はホオズキの如く血走りて
背には杉や檜が生ひ茂り 八つの谷八つの峰を這ひ渡れば 腹は赤き血にじみて爛れたり

八俣遠呂智が毎年現れて娘を食べてしまうと翁が悲しむ様子を、琵琶と十七絃、箏のアンサンブルで表現している。続くトレモロの部分と合わせて、減七の和音を特徴的に用いている。
次いで箏と十七絃による急速調の部分を挟み、尺八独奏による英雄的旋律は、遠呂智を退治しようという須佐之男命の知恵と勇気を表現している。そして6/4拍子のリズムにのせて尺八の即興演奏が展開され、さらに胡弓との掛合いを挟んで激しさを増してゆくアンサンブルは、遠呂智が迫り来て、戦う情景を表現している。ついに遠呂智を退治した須佐之男命を讃える英雄的旋律が再び奏でられる。翁の娘を妻に迎えて、宮殿をつくる際に詠んだとされる次の和歌を歌詞とした歌で、組曲はクライマックスを迎える。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」